野心家の貴公子。清少納言『枕草子』~頭の中将斉信篇~

 

皆さま、こんにちは。小暮です。

久々の枕草子です。今日は頭の中将・斉信についてご紹介します。

 

頭の中将・藤原斉信について

道長の腹心として知られる人物です。

道長の側近たち”四納言”の中でも最も道長に近い人物でした。

同じ四納言で、ともに枕草子に頻出している行成とは

あまり仲がよくなかったようです。

(行成が扇に斉信の悪口を(名筆で)書いていたという逸話があります)

行成についてはこちらをどうぞ。

glleco.hateblo.jp

頭の中将は、頭の弁と並ぶ若手エリートの登竜門と目された役職で、

頭の弁が実務を重視するのに比べ、頭の中将は非常に華があり、

家柄も容貌も良い貴公子が任じられることが多かったといいます。

斉信は太政大臣・為光の子で、また容姿も美しい人物でした。

大納言までのぼったものの、さらに大臣になりたくて祈祷をしたため、

当時右大臣だった賢人右府の実資に嫌われたという逸話も残っています。

総じて安泰な人生だったようで、野心家で世渡り上手な印象です。

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エピソード1『頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて~』

斉信が主役を張る段ですが、結構ハードな展開になっています。

*あらすじ*

頭の中将斉信が少納言の悪い噂を聞いて、ひどく嫌い、

あちこちで悪口を言っているという話を聞いた少納言

事実無根の噂なので、そのうち誤解が解けるだろうと思っていたが、

少納言の声が聞こえると厭そうに袖で顔を隠すといった有様なので、

少納言も意地になって放っておいた。

 

ある日の夜に、斉信からの使いが文を持ってきた。

文には『蘭省花時錦帳下 末はいかに』と書かれており、

「早くお返事を」と使いの者はしきりにせかす。

小首を傾げた少納言。下の句はもちろん知っていたけれど、

下手な漢字でただ書いてもつまらないと思い、

いろりの中の消えた炭を取り、『草の庵を誰か尋ねむ』と書いて使いに持たせた。

 

それきり返事もなく、翌朝になって源宣方の中将がやってきて、

「草の庵殿」と少納言を呼ぶ。

なんでもゆうべは名だたる殿上人から六位の者までも

斉信の宿直所に集まって、少納言を試そうとあの文をよこしたのだという。

ところが予想外の見事な答えが返ってきたので、

斉信も非常に面白がって、上の句をつけようとしたができなかったと、

わけを話した。「あなたのあだ名は『草の庵』になりましたよ」

 

宣方の中将が帰ったあと、修理の亮則光がやってきて、

「頭の中将がゆうべのあなたの返事に感嘆して、

わけを私に話してやれと言っていました。

私はあなたの”せうと(兄貴分の意)”なので、とても嬉しかったですよ」

と話してくれた。

内心、冷や汗が止まらない少納言。大勢が集まっていたとも知らず、

下手な返事をしていたら、とんでもないことになるところだった。

斉信はそれから少納言への考えを改めたようだった。

少納言が手柄を立てたエピソードですが、

女房の働きは女主人である中宮定子の威光にかかわってきます。

あとから真相を聞かされて青ざめる少納言の胸中は、

まさに危機一髪といったところでしょう。

 

エピソード2『故殿の御服のころ』

こちらは斉信が好意的に描かれているエピソード。

この頃にはかなり打ち解けた様子です。

斉信は琵琶の演奏や歌がうまかったようで、

少納言に歌を聞かせたり、一緒に碁を打ったりする姿が

描き出されています。

七夕のエピソードのあらすじをご紹介すると……

七夕祭りを控えた日、昇進して宰相の中将となった斉信と源宣方、

少納言やほかの女房たちとで談笑していた。

少納言がふと「明日は何の詩を吟じますか」と尋ねたところ、

「人間の四月の詩を」と斉信が答える。

 それは遡った四月の暁に、七夕の歌を詠んで

「気の早い七夕ですね」と少納言に笑われたのを覚えていて、

わざわざ七夕にあわせ「四月の詩を」というのだった。

ここで少納言は斉信の機知を忌憚なく誉めています。

斉信の友人だった源宣方の中将という人が、

いい味を出している段でもあります。

 

少納言と斉信

枕草子』において、

斉信の風流に通じたところや佇まいの美しさを褒めちぎっているものの、

肝心なところで少納言は距離を置きたがり、

緊張感のある関係だったのがうかがえます。

『故殿の御服のころ』の段ではかなり和解していた様子ですが、

ほかの段では結構な攻防が……

『故殿の御ために』の段では、斉信の恋仲になろうという申し出を

「宮や主上(中宮定子と一条帝)に貴方のことを申し上げられなくなるから」と、

少納言はきっぱり断っています。

枕草子』には政治的な意図も多分に含まれていたといわれ、

少納言による斉信の喧伝は傾きかけていた梅壷の勢力とも

関係していたようです。

斉信も、少納言の帝や中宮への口添えは期待していたでしょうし、

恋の浮名を流すのがステータスだった時代でもあります。

一筋縄ではいかない間柄だったのでしょう。

枕草子―付現代語訳 (上巻)

 

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+15.12.25. 一部誤りがあったため、追記を削除。