シニカルで怖い異色の絵本。エドワード・ゴーリー『敬虔な幼子』『蟲の神』『題のない本』

 

皆さま、こんにちは。小暮です。

今日から4日間は絵本特集になります。

初日はエドワード・ゴーリー著『敬虔な幼子』『蟲の神』『題のない本』です。

 

『敬虔な幼子』

ゴーリーらしく無茶苦茶です。

『不幸な子供』はゴーリー自身が「やりすぎ」と語っているように、

ちょっと笑えないんですよね。

でもこちらはだいぶ笑ってしまいました。

信心深いヘンリー・クランプ坊やは僅か3歳で罪の心と神の慈悲を知り、

神への奉仕に努めます。

日曜日にスケートをしていた男の子たちに

『なんと浅ましい!』『安息日を無為に過ごすとは』と注意し、

書物に『軽々しく』書かれた神の名を『念入りに黒く塗り潰』す熱心さ。

ヘンリー・クランプ坊やがやりすぎですが、

ゴーリー自身は良いバランスをこの作品に与えています。

ヴィクトリア朝の子供を美化・神聖化した物語のパロディだといわれていますが、

現代のアレコレも、後世にはどう語られるのか……。

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『蟲の神』

とても恐ろしい作品。それなのに

『ウェスト・ウィング』『ギャシュリークラムのちびっ子たち』とともに、

『ビネガー作品集 教訓本三作』として出版されたといいます。

ふざけたとしか思えない……。

『蟲の神』は、行方不明のミリセント・フラストリィの

張り紙が出されているところから始まります。

サイレント映画調のミリテリー展開から、

幼いミリセントを誘拐したのは、どうも異形の者らしいとわかり、

一気にホラー度が上がったところで、ついにミリセントは……。

……子供が泣くと思います。

作中で子供たちが不幸に見舞われることの多さを、

ゴーリーはよく、恐らくは批判めいた指摘をされていたようです。

が、日常に危険はある、というのがゴーリーの持論。

「ヒマラヤに登るなんて理解不能、ベッドから出るだけで危険なのに」

と言ったらしいゴーリー

これで頑固な変人でも、理屈っぽい皮肉屋でもなく、

繊細で思慮深い人物なので非常に面白いです。

『題のない本』

真っ青な表紙が目を引く本です。

ゴーリーの緻密な線画に、意味不明の言葉が並びます。

擬音めいていますが、なんの擬音なのかというと、さっぱりわからない。

『固定カメラでとらえた画面の中で……』とは、

カバーのそでのキャッチコピーです。

確かに場面はずっと同じで、窓から覗く男の子と、

庭にやってくる動物たちとぬいぐるみのようなモノが、

何かしているらしい、というのは見て取れます。

ハイセンスな人形劇のような気も……。

子供向けだといったのに、人形作家がアートを追求してしまい、

子供がポカンと、大人はギョッとして見てる、というような。

明日は絵本特集2日目エドワード・ゴーリー『胡乱な客』『まったき動物園』の予定です。

それではまた。

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