歴史物としてニュートラルに読める遠藤周作『王妃マリー・アントワネット』

 

皆様、こんにちは。小暮です。

今回は、遠藤周作著『王妃マリー・アントワネット』についてです。

 

作品について

本作は18世紀フランスで、ブルボン王朝最後の王ルイ16世マリー・アントワネットに焦点を当てたものです。日本でもおなじみの彼女ですが、同じ日に生まれたマルグリットという市井の少女を登場させ、フランス革命前後のパリを王宮の外側からも描いています。

マリー・アントワネットというと、きらびやかなイメージですが、そういう要素は控えめです。文章自体も淡々としているし、歴史物として読める作品だと思います。

14歳でフランス王宮に嫁いだマリーがパリに到着したシーンは印象的。王妃を見つめる一市民マルグリットの視点も。

ただマルグリットの存在感はやや薄いように感じます。市井の一少女ならこのくらいが現実的なのかもしれませんが、せっかくマリーとの宿命を与えられているのだし、もうちょっと役割があればと思いました。おとなしくも最後に行動に出るシスターほうが存在感があります。

それから、運命が暗転したマリーのもとへフェルゼンが忍んでいく場面。一言で言うと、ムードはありません。笑。

架空の人物も登場しますが、総じて史実に忠実。読み応えがあります。

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マリー・アントワネットのイメージ

マリー・アントワネットというと、ロココ時代を謳歌したプリンセスというイメージです。日本で人気があるのもそのためでしょう。「ベルサイユの薔薇」も読んだことがありますが、ヒロイン顔ですよね。若くして断頭台の露と消えたのも、悲劇性があり、魅力を高めているのだと思います。

 

歴史と現実

 一方、本国フランスではいまだに人気のない彼女。やはり市民の敵だと思われているようです。当時、王侯貴族が贅沢な生活を送る一方で、国民は重税にあえぎ、自分たちを苦しめるシンボルとして槍玉に上がったのがマリーだったといいます。フランス出身ではなかったというのも影響したようです。

ソフィア・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」がフランスでブーイングを浴びたというのも象徴的なエピソードですね。あれはマリーのセレブ生活に焦点を当てた映画で、宮殿に市民が大挙して押し寄せたあたりで終わってるので……歴史ものという要素はありません。ただファッションムービーとしてみると魅力的だと思います。

映画のベースになったアントニア・フレイザーの著作は、イギリス人が書いただけあってマリーを冷静に見ています。彼女に対する誤解がかなり多かったこともわかります。が、フランスの空気が変わったというわけではなさそう。

現実として、マリーが王妃として無自覚な面があったというのは否定できないでしょう。

 

まとめ

彼女をもっとニュートラルに見たいという人には、遠藤周作の『王妃マリー・アントワネット』はぴったりではないかと思います。一人の人物に過度なフォーカスをしないので、歴史の流れの中でのマリーを見ることができます。

私はというと、マリー・アントワネット関連のものは結構手を出していますが、当人に思い入れがあるのかと問われると考え込んでしまう。本人はとっくに世を去っていて、彼女にまつわるものはもう彼女の抜け殻なのだといえるかもしれないですね。そういう化石のような昇華された魅力に引きつけられるのかもしれません。

遠藤周作の『王妃マリー・アントワネット』の淡々と読めるところも、私のように化石感を求めている人間にはちょうどよかったです。

 

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