自然と人とサイエンス。『風の谷のナウシカ』によせて

 

皆さま、こんにちは。小暮です。お久しぶりです。

このところ忙しくて更新できずにいました。しばらくは更新頻度がかなり落ちそうです。

こんなブログですが、ご訪問いただいて嬉しく思います。ありがとうございます。これからも細々と続けていければと思っています。

今回はコラムです。

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漫画版『風の谷のナウシカ』について書こうとしたけれど

宮崎駿さんの漫画「風の谷のナウシカ」について書こうと思ったものの、かなり昔に読んで、今手元にないもので、うろ覚え感がひどく断念しました。

ざっくりしたストーリーは覚えていますかね。映画とはかなり違います。

前半と土鬼のところが好きでした。

縁談が持ち上がったクシャナが夫となるはずの人の首をぶら下げて歩くシーンでは、つい笑ってしまいました(首は首で喋るという)。

ただ終盤の展開が重すぎて、読むのがしんどかった覚えがあります。

グロテスクなシーンも多かったですね。

時にナウシカが残酷に思えることもあって、それがつらくもありました。

秘された世界の謎に迫るナウシカ負の遺産の正体は知らなきゃ良かったといいたくなるようなシロモノです。

SFですね。これは。

  

個人的には、サイエンスにそこまでの期待を寄せられないのですが……。

そしてサイエンスを操る人にも……。

 

サイエンスへの期待に感じる違和感

科学技術がどこまで進歩するかわからないけれど、開発に資金がかかるということで、すごく世俗的な思惑が絡んで、限界までいけなさそうとか。

優れた科学技術で結局商売するだけとか。

科学技術の発達した世界で、ぐだぐだの日常生活を送っているとか。

 

現代はそろそろサイエンスがもたらした未来地点にさしかかると思うんです。

結果……はかばかしくないような。

 

子供のころから便利な文明の利器に囲まれて、でも別に夢のような生活じゃなかったというのが大きいですかね。

 

 食べ物や日用品に入っている合成化学物質など、人間が作った変なものはないほうがいいと思ってしまいますし。

 

(追記)科学技術の発達が、人々の暮らしに貢献したのは確かだと思いますが、世界の命運を握るかのように思うのは、過剰な期待ではないかと。

 

ナウシカは映画のほうがとっつきやすい

映画では描けないマニアックな部分を漫画に持ってきたんだろうとは思います。

大衆迎合というと悪いことのように言われがちですが、ごく一般の人たちが持っている普通の感覚こそ大事だと感じることもしばしばです。

 

マニアックはマイノリティだからこそ光るというか。

マイノリティにも市民権をとは思いますが(別の話)。

 

映画では自然の持つ浄化機能というところで話が終わります。結局それがいいと思うのです。

サイエンスによって自然をコントロールし、創造までするというのは、ストーリーとしてはインパクトがありますが、強い違和感も覚えます。

 

ただ映画でひとつ王道の結末を描いたからこそ、漫画では振り切って違う展開にできたのかもしれません。

やはり映画あっての漫画かなと。

ちなみに宮崎アニメだとラピュタ紅の豚も好きですが、一番はやはりナウシカです。

 

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