打てば響く、中宮定子と清少納言の面白いやりとり。角川ソフィア文庫『枕草子・上』より

 

皆さま、こんにちは。小暮です。

今回は「枕草子」を。私は角川ソフィア文庫の「枕草子 上下」を愛読しているのですが、その上巻に焦点を当ててみたいと思います。中宮定子と清少納言の面白エピソードのほか、少納言のユーモアや美意識が感じられる段もご紹介します。

 

笑の段

まずは面白おかしく書かれているものを抜粋してみます。

第25段「にくきもの」では、筆が走るという言葉がぴったりの書きっぷりです。「忍びてくる人、見知りてほゆる犬」「ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく」「あいて出で入るところ、たてぬ人」など、読んでいて思わず笑いたくなるようなものが次々に出てきます。

「顔を合わせたくない人がやってきたので、寝たふりをしていたら、家人が取次ぎに来て、『起きやしない』という顔で人を揺らす」だとか、「病人が出て、験者(加持祈祷をする人・当時の病気の治療法)を呼びに行かせたら、なかなかつかまらず、やっときたと思えば病人が多くて忙しいのか、座ったとたん眠たげに祈り始める」など、当時の世相も盛り込みつつ、千年経っても笑えるところがすごい。

こういう段を読んでいると、なにげない日常をユーモアたっぷりに切り取るところなど、平安のサザエさんという気がします。第123段「はしたなきもの」では「ほかの人が呼ばれたのに、自分だと勘違いして顔を出したとき。何かくれるときだったらなおさら居心地が悪い」など、格好がつかないエピソードが並んでおり、こちらも笑える内容です。第120段の「はづかしきもの」では、以前の記事でご紹介した夜居の坊さんも登場します。

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美の段

次は少納言の美意識が感じられるものを。

第26段「心ときめきするもの」では「雀の子飼い。ちご遊ばする所の前わたる。よき薫物たきて、ひとり臥したる……」など、少納言が好むものが並んでいます。

第27段「過ぎにしかた恋しきもの」では「枯れたる葵。雛遊びの調度。~~去年のかはほり」と懐かしさに駆られるものが続き、「もらったとき心を動かされた手紙が、雨の降っている日に出てきたとき」という一文は目にその場面が浮かびます。

第56段では「ちごは、あやしき弓、しもとだちたる物などささげて遊びたる、いとうつくし」と綴っており、小さな子供が可愛かったようです。

第39段「あてなるもの」は丸ごと美しい段です。

「薄色の下襲の汗衫。かりのこ。削り氷にあまづら入れて、新しき金まりに入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしきちごの、いちごなど食いたる」

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毒の段

毒舌が炸裂しているものも。

第24段「人にあなづらるるもの」では「築土の崩れ。あまり心よしと人に知られぬる人」。つまり、築地塀の崩れとお人よしは馬鹿にされるという意味です。笑えるものとしてご紹介した第25段「にくきもの」では、マナーの悪い老人や酔っ払いをチクリ。醜い人や礼儀作法を知らない人、無粋な人、身分の低い人には軒並み辛口です。

 

絆の段

最後に、中宮定子とのやりとりを。面白いものを中心に選びました。定子に振り回される少納言の図がとても微笑ましいです。主従なので必然的にそうなるでしょうが、それにしても定子がお茶目です。

第82段では、里下がりしている少納言に定子からの文が届きます。「早く参上しないさい」という催促とともに、こんな一言が。

「左衛門の陣に行きし後なむ、常におぼしめしいでららる。いかでか、さ、つれなくうち古りてありしならむ。いみじうめでたからむとこそ思いたりしか」

”左衛門の陣(内裏外郭の東門・本書より)に行ったときの後姿が忘れられない。どうしてあんな古くさい格好だったのでしょう。自分は素敵だと思っていたようだけど”――という意味です。ずいぶん辛口ですが、これに対する少納言の返事はというと――

「いかでかは、めでたしと思ひはべらざらむ。御前にも、『なかなるをとめ』とは御覧じおはしましけむ、となむ、思ひたまへし」

”どうして素敵だと思わないことがあるでしょう、定子様にも『宇津保物語の仲忠が見た仙女』のようだと楽しんでいただいたと、思っておりました”――しゃあしゃあと答えたところ、さらに返事が。

「いみじく思ふべかなる仲忠が面伏せなることは、いかで啓したるぞ。ただ今宵のうちに、よろづのことを捨ててまゐれ。さらにはいみじうにくませたまはむ」

”お気に入りの仲忠の顔を潰すようなことをどうしていうの。今夜のうちに何をおいても参上しなさい。嫌われますよ”

……このあと、少納言は慌てふためいて定子のもとに顔を出しています。「なかなるをとめ(仲忠の仙女)」ときて「仲忠の顔をつぶすようなこと」とは、バッサリですよね。でも、早く少納言に顔を出してほしい気持ちも感じられます。(ちなみに定子側の文はほかの女房が代筆しています)

 

第83段では、雪が降り、庭に雪山を作らせた定子が、女房たちに雪山の溶ける日を予想させます。12月10日ごろと思われる日に、少納言は「翌年の1月15日まである」と予想。しかし、これが意外に当たり、意地になった少納言が番人を雇って雪山の守りをさせるくらいヒートアップします。ところがあと一日というところで、雪山が跡形もなく消失。実は(悪戯心で)定子が命じて打ち捨てさせたというので、少納言一条天皇の前で悲嘆にくれます。あまりの嘆きぶりに「罪の深いことをしてしまいましたね」と定子も肩をすくめたようです。「お気に入りの女房だと思っていたがどうも疑わしいね」と帝も笑ったとか。

 

第97段では、定子が一族の人々と集まっていたときに、少納言に文を投げてよこします。「思ふべしや、いなや、人、第一ならずは、いかに」これは以前、少納言が「人に一番に思われるのでなければ嫌。二番や三番では意味がない」と言ったのを受けたもの。「あなたを好きになろうかしら、やめようかしら、一番じゃなかったらどう?」という意味かと。少納言は「九品蓮台のあひだには、下品といふとも」と返します。こちらは「思っていただけるのでしたらなんでも」というくらいの意味でしょうか。対して返事は「つまらない。言うことを変えてはだめよ」というもの。この段は定子にバッサリ言われながらも、少納言は「いとをかし」で締めています。「一番に思ってください」と言ってほしい、という意味なので、結局気に入られていますね、少納言。(+追記。下巻に収録されている第179段のくしゃみのくだりもそうですが、定子は少納言を困らせるようなことをちょくちょく言っていたようです)ちょっと辛口な会話が成立するのも信頼関係の為せる業ですね。

香炉峰の雪」のように教養に裏打ちされたやり取りが有名ですが、枕草子には、定子との思い出といえるなにげないやり取りも多くつづられています。

 

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