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みすずがみすずであった意味。もう一度『金子みすず童謡集』

文学

 

皆さま、こんにちは。小暮です。

 今回は一度書いたものの不出来なために削除した『金子みすず童謡集』について、改めて書いてみようと思います。

 

金子みすずの詩は、子供らしい優しい視点が魅力です。子供といってもヤンチャだったり、勘が鋭かったり、いろいろですが、みすずの描く子供らしさは、可愛い子供ときいて真っ先に思い浮かべるような、理想の可愛さですよね。

「もくせい」

もくせいのにおいが

庭いっぱい。

表の風が、

御門のとこで、

はいろか、やめよか、

相談してた。

小さい子が「お母さん、あのね……」というかんじで、こんな話をしてくれたら、ものすごく可愛いだろうなと。有名な「私と小鳥と鈴と」 や「星とたんぽぽ」のようにメッセージが込められたものに対し、こちらは子供らしさ、あどけなさがよく表れている詩です。

一方で……。

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「お魚」

海の魚はかわいそう。

 

お米は人に作られる。

牛は牧場で飼われてる。

鯉もお池で麩を貰う。

 

けれども海のお魚は

なんにも世話にならないし

いたずら一つしないのに

こうして私に食べられる。

 

ほんとに魚はかわいそう。

 

 この詩はとても繊細。繊細すぎるといってもいいくらいです。「大漁」という詩でも、水揚げされるイワシに対し、海の中では弔われているだろうと、同情を寄せています。

これだと食卓に魚が上るたびに、つらくなりそうですよね。

じゃあ魚を食べるのを拒否するのかとなると、繊細な人はきっと今さら口にしないと食べ物を粗末にすることになるとか、作ってくれた人に悪いとか、いろいろと気を回してしまいそうです。

こういうことに気がつく人は、普通の人よりたくさんのことに傷ついてしまうんじゃないか。果たして生きていけるんだろうか……この問いに対しては、26歳で自ら命を断ってしまったという答えがあり、ただただ悲しい。

生きていくために人は他の命を犠牲にしないわけにはいかないし(菜食主義だって植物の命を刈り取るのだから)、割り切ってタフにならざるを得ないでしょう。みすずが命を繋いで、年齢を重ねられたなら、そういうタフさを発揮したかもしれない。でもそうはならなかった。

若く繊細な感性を源泉として数々の詩が生まれたこと。それの意味するところを、ずっと考えていました。少し前まで、悲しい方向にしかいかなかったんですが。

今、みすずの詩を通し、その優しさや温かさに触れられることを考えると、彼女は自分の人生を守れなかったかもしれないけれども、みすずがみすずであったことの尊さは証明されたのだなと。

平易な言葉で心からの優しさを言ってもらえることの大切さが、大人になればなるほどよくわかり、年々みすずの詩が愛おしく感じられるようになってきています。その悲しみや寂しさの向こう側の輝きも、年月を重ねて、ようやく見えるようになってきたようです。

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