エドガー・アラン・ポー『黒猫』『本能vs理性――黒い猫について』『ウィリアム・ウィルソン』
皆さま、こんにちは。小暮です。
今日はエドガー・アラン・ポー作品である
『黒猫』『本能vs理性――黒い猫について』『ウィリアム・ウィルソン』です。
『黒猫』
ポーを代表する作品の一つです。
動物好きにはツライ表現があります……。
酒癖の悪い主人公はペットを虐待し、
虐げた黒猫にために、結局は破滅します。
主人公が自らが完璧に成し遂げた仕事に浮かれ、
饒舌な態度で失敗するくだり、
人の弱い心理をよく描いています。
+2016.7.9. 加筆修正
この記事を書いたとき、改めて作品を読み直したのですが、猫に対する虐待の描写にショックを受けて、書くのがつらかった記憶があります。
結局は黒猫に追いつめられる主人公。残虐な行為の報いとして下される猫の審判だと考えると、猫の存在は畏怖すべき偉大なものとして扱われていることになります。ううむ、やはり猫好きとしての観点からしか書けませんね。
本来心優しく動物好きだった主人公が酒に溺れ、転落していく過程には悲しいものがあります。でも踏みとどまるのか、一線を越えるのか、それは自分自身の決断です。弱さが己が身を滅ぼすなら悲劇だけど、他人を傷つけるなら罪深い。つまり一貫して”人の弱さ”がテーマになっている作品なのだなあと感じました。
『黒猫』の記事については納得のいく内容ではなく、ずっと気になっていたので、今回思い切って加筆修正に踏み切りました。
『本能vs理性――黒い猫について』
下等な動物に理性の働きがあるのかどうか、おそらく
答えが出ることはない。当代の知見においては、まず無理だ。
自己愛と傲慢に生きている人間が、動物にも思惟の力があると
認めることはあるまい。そんなことをしたら超越した存在としての
大事な自尊心に傷がつく。(本文より)
”人間は万物の霊長である”という考え方に常々疑問を抱いている私なので、
ポーもこういうことを言っていたのだと、感慨深かったです。
この作品はコラムになるでしょうか。
動物の本能の不思議について書かれています。
珊瑚の神秘、蜂の巣の見事さ、そして、飼っている猫の賢さについて。
ポーは猫好き?
『黒猫』なんて読んでいると誤解しそうになりますが、
ホッとしました。
”作品≠作者”というのを肝に銘じると決めているのに、よく忘れます。
『ウィリアム・ウィルソン』
同姓同名、同い年、容貌までそっくりの男に悩まされる主人公。
しかも、この人物はことごとく主人公の前に立ちはだかり、
主人公の企てを邪魔し、追いつめ、破滅させます。
……自分は一人でいい。もう一人なんて存在する余地がなく、
いたとしたら相争うしかなくなるのかもしれません。
ポーはドッペルゲンガーをテーマにこの作品を書いたといわれます。
しかし、ドッペルゲンガーはかくも意志と人格を持った存在なのか。
自分の分身であるドッペルゲンガーの逸話といえば、
自分がいるはずのない場所で人が見かけたといった、とか。
自分の分身をうっかり見てしまうと死ぬ、とか。
『ウィリアム・ウィルソン』は良心について書かれているのだとも
いわれます。
納得の分析ですが、個人的には教訓話のようで面白くない。
やはり、ドッペルゲンガーの話とするのが落ち着きます。
苦悩と恐怖は、読者としてポー作品に求めるところでもあります。
チャレンジ報告
ポー作品の書評コンプを目指しております。
これで8作品です。
次回は10月27日の更新になります。
それではまた。
15.10.26. イラスト差し替え